〒604-8550 京都府京都市中京区菊屋町
京都地方裁判所 第三民事部

八木良一裁判長殿
飯野里朗裁判官殿
財賀理行裁判官殿
貴裁判所に係属している京都大学再生医科学研究所井上一知教授の再任拒否事件は、大学の学問の自由を危機に陥れる重大事件であると憂慮したわれわれ、大学関係者、法曹、一般市民から、緊急にお願いに及びます。この要望書を是非お読み頂き、社会正義のため、日本の学問の将来のため、司法権として、公正なご判断を下してくださることを心から期待しております。
                          2003年12月10日

提出者代表 村上陽太郎(京都大学名誉教授)

要望書

京都大学再生医科学研究所の井上一知教授がいわゆる大学教員任期制法に基づき失職扱いにされていますが、これは、以下に述べるように、学問の自由を守るべき大学が自ら教員の学問の自由を侵害しており、裁判所によって、本来救済されるべき事件です。貴職におかれては、この問題を根底から再考して、井上教授を本年5月1日に遡って復職させていただきますように要請します。

同教授は、平成15年4月30日までの任期に先立ち、その一年前に再任申請の手続きをされました。井上教授は再生医療に関する研究業績で国際的に高い評価を受け、日本再生医療学会の初代会長を勤められました。特に糖尿病に対する再生医療開発研究は臨床応用直前の段階にあり、多くの患者さんがその開発を待ち望んでおられます。再任審査の結果、超一流の専門家7名から構成される外部評価委員会の委員全員が一致して、今後の活躍に期待し、再任に賛成との結論を出されました。

ところが、同研究所内部の協議員会は、“外部評価委員会の評価に「基づいて」決定する”という内規を無視し、井上教授に何等の説明の機会を与えることもなく、「基づかない」理由を示すことなく、再任を拒否しました。井上教授は当時の所長に対して再任拒否理由の明示を求められましたが、なしのつぶてです。

大学教員の人事権は大学に属するという大学の自治が、今日学問の自由の一内容として承認されていますが、それは公明・正大であるべきです。このような事件がそのまま見過ごされては、教員の学問の自由は、国家権力からは独立でも、大学内の権力によって弾圧されてしまいます。これは大学の自治・研究所自治の濫用です。国家権力に抵抗して、大学の自治を守った京大滝川事件の70周年に当たる本年に、京大がみずから弾圧者側に回るという事態に至ったことは、誠に遺憾であります。

任期制を採用する大学・学部は急激に増加し、医学部ではすでに20大学以上が任期制を採用し、横浜市立大学では全教官の任期制への移行が議論されています。今回のような理不尽な処置が容認されると、任期制教官の地位は、いかに業績を挙げどれほど社会的貢献をなそうとも、それとは関係なく、再任を決定する機関の恣意的な判断に全面的に依存することになってしまいます。

これでは、教員は再任拒否の憂き目にあわないようにと、発言どころか、研究をも自己規制することになり、それが全国に波及する結果、この国では、自由な学問は死滅します。大学内に救済の道が閉ざされていることを踏まえ、日本は法治国家であることを信じておられる井上教授は、もはや一個人のためだけではなく、憲法で保障された教員の学問の自由を守るために、そして将来の日本の社会のために、京都地裁に行政訴訟を提起されました。

本件は、仮の救済がないと、研究がストップして回復が至難になるところから、井上教授は、さしあたり、行政訴訟における仮の救済である執行停止を申請しましたが、本年4月30日、貴裁判所(京都地裁民事三部)は、本件は“任期切れで失職したのだから救済の道はない”とか、“任期制の教員からの再任申請に対して、任命権者は審査をする職務上の義務はあるが、再任申請者に対する関係での義務とまではいえない”といった考え方により、却下(門前払い)をされました。しかし、これは時間のない中で急遽判断されたためと推察されます。

そこで、目下、この失職扱いを行政処分として、その取消しを求める本案訴訟が貴裁判所に係属していますが、これに対し、元京大法学部助教授でもあり、前最高裁判事の園部逸夫博士は、今回の井上事件を、大学の自治を侵害し、日本の教官任期制度を根幹から歪める極めて重大な社会的な事件と判断され、貴裁判所に意見書を提出されました。その中で、“大学自治の理念もその運用を誤ると,教授会の独善や、派閥人事の隠蔽などに悪用される恐れがある。任期制の運用に当たっては、大学教員の身分保障に基づく学問の自由と発展と言う、大学自治の基本理念に反することがあってはならないのである。”と述べられています。

考えますと、たしかに、任期が適法につけられ、しかも、公明正大な評価とルールに基づいて再任拒否が行われれば、任期満了により失職となるはずです。しかし、本件では、憲法で定められた裁判官の任期制とは異なり、本人の事前の同意が必要ですが、井上教授が公募に応じたときには任期制との説明もなく、発令直前に事務官から急遽同意を求められたということですし、業績をあげても問答無用で再任拒否されるとまでは予想できなかったでしょうから、そんなことであるとすればその同意に瑕疵があったことになります。しかも、本件は一号任期制ですが、井上教授のポストがこれに該当する理由の説明もありません。文部科学省は、任期制を導入できる場合を限定したものと国会で言明しています。以上の理由により、本件では任期が適法につけられたとはいえないと思われます。

また、再任申請に対する審査について、文部科学省は新規採用手続と同じと考えてきたようですが、それでも国会答弁では再任拒否に対して司法審査の道があると認めていますし、判例でもそのようなものがあります。しかも、再任審査は一般の新規採用とは異なり、再任申請者のみを対象とし、かつ、任期制法に基づく文部科学省令から学則に授権された手続で行っておりますので、単なる職務上の義務にとどまるものではなく、外部評価に「基づく」といったそのルールに違反すれば、およそ公明正大な評価とルールとはいえないものですから、違法となるものと考えます。

それにもかかわらず、本件を、単に任期切れとして、門前払いで済ませるのでは、日本は法治国家とはいえないと信じます。

丁度今、日本の行政訴訟は、「やるだけムダ」といわれて、機能不全に陥っているとの認識のもと、それを国民・利用者の立場に立って機能させるべく、その改革作業が進んでいますが、本来これは立法を待つことなく、裁判所の努力でも十分に改善できるものと考えます。

貴裁判所におかれては、短時間で行われた先の判断にこだわらずに、ここで、学問の自由の崩壊を防ぎ、法治国家を実現するために、法理論を再検討され、本件の真相を徹底的に解明されて、井上教授の学問的断絶を早急に回復すべく、公正な御判断を下されますよう、切にお願い申し上げます。

                 連署者
五十音順名簿
大学毎名簿
所属機関リスト