国公私立大学教員有志から 京都地裁民事三部裁判官への要望書

大学教員任期制法への疑問、
再任審査における公正な評価の不可欠性、
「失職」扱いに救済を

神戸大学教授

阿部泰隆

yasutaka@law.email.ne.jp

2003年11月12日


 一 はじめに

 京都大学再生医科学研究所の井上一知教授が再任を拒否されて、私は意見を
求められ、早期から支援してきた。

  井上教授が医学部助教授からこのポストに昇任したとき、平成9年8月に施
行されたばかりの大学教員任期制法に基づく5年の任期に同意していた。そこ
で、一般には、任期が切れたら、失職するのも当然で、再任されなければ争い
ようもないと思いこんでいる面がある。

 しかし、法制度は憲法のもとに、政策目的とそれを実現する手段の体系であ
るが、この法システムを精査すると、目的と手段が対応せず、学問の独立を侵
害する極めて不合理なシステムになっているので、少なくとも、再任審査のルー
ルを公正につくり運用しなければ違法違憲であると確信するに至った。しかし、
京大にはそのようなしくみもなく、これを公正に運用しようとする理性もない。
その事案を見ると、極めて恣意的な権力濫用がなされている疑いが濃厚である。
しかも、これは井上教授一個人や一研究所の問題だけではなく、学問の自由を
抹殺し、大学の崩壊をもたらす重大事件である。

 裁判所には緊急に救済するとともに、京大当局には早急に再任の手続をとる
ことを求めたい。

  二     任期制法への疑問

 1      任期による入れ替えと流動化・活性化との合理的な関係の希薄さ

 任期制には特定のプロジェクトを行うために特定の期間だけ採用され、任期
が来たら業務消滅により再任がないことが最初からわかっているものや、万年
助手を避け、多数の研究者の卵にポストを与えるための研究助手の任期制のほ
か、流動化型がある。そして、本件のように、再任可とされているものがある。
プロジェクト型で、再任なしのものは、恣意的・人為的な人事を行う余地がな
いので、問題は少ないし、研究助手は研究者としてまだ評価が定着しない段階
にあるから、学術振興会の研究員と同じく任期を付されても不合理ではない。

 これに対し、流動化型は「先端的、学際的又は総合的な教育研究であること
その他の当該教育研究組織で行われる教育研究の分野又は方法の特性にかんが
み、多様な人材の確保が特に求められる教育研究組織の職に就けるとき。」と
いう曖昧な文言で、任期を付けることができる。その理由は、日本の大学教員
には流動性がたりないので、任期制で流動化させて、研究教育を活性化すると
いうのである。

  しかし、任期制という手段と、流動化なり大学の活性化という目的の関係は
不明である。たしかに、自校出身者の学閥人事のために研究教育が停滞してい
る大学は少なくないが、任期制を導入したところで同じ学閥内で流動化するだ
けの可能性が少なくないし、これは大学による自主的な選択的導入とされてい
るから、当該大学が活用しなければ意味がない。また、「多様な人材の確保が
特に求められる」という口実で大学教員の職務はすべて任期制にできるのでは
ないかという疑問があるが、文部省の国会答弁では、これは任期制を導入でき
る場合を限定したものとされている。それなら、なおさら、任期制法が成立し
ても、実際に任期制を導入するポストは限られるから、大学の活性化にはさし
て結びつかないであろう。

  学閥人事などによる研究教育の停滞を打破するためには、採用人事において、
自校出身者の割合を一定以下に下げるように目標値を設定させ、それに応じて、
予算措置で優遇措置を講ずること、諸外国に見られるように、優秀な教員を優
遇措置を付けて招聘することができるように予算措置を講じて、全国すべての
大学が優秀な教員の誘致合戦を行うようにする方がよほど研究教育の向上に資
する。さらに、優遇措置を受けて招聘されたら、何年かは他から招聘を受けて
も辞職しない(異動しない)という約束を有効とする特別規定も必要である。

  また、大学格差の大きいわが国では、学閥などの頂点に位置する大学以外は
教員の異動は激しく、流動化しすぎて組織が崩壊しそうだという悲鳴さえ聞こ
えるところである。特に法科大学院の設置に伴うこの現象は実定法学系で顕著
である。優秀な教員の定着をはかる優遇措置も必要である。

 2 身分保障・学問の自由に抵触

 そもそも公務員の身分保障は、恣意的人事の防止、成績主義の原則や政治的
中立性の確保、労働基本権制限の代償(全農林警職法事件最大判1973・4・
25刑集27巻4号547頁)の観点から認められている。その上、大学教員
の場合には、憲法23条の学問の自由の保障の観点が付け加わる。もともと、
学問の自由を侵害するのは政府権力であったので、大学の自治が認められてい
るが、さらに、教員の業務は学長、学部長のような管理職から個別の監督を受
けない(学校教育法58条)として、独立性が保障されている。裁判官の独立
(憲法76条3項)に類するしくみである

 これをふえんして説明すると、そもそも、大学教員の研究業務は、会社や官
庁の業務とはまったく異質で、他者の学問を批判し、それを克服して新たな学
問を生み出すことにあるから、いかなる権威からも独立できるように保障され
なければならないのである。同僚が人事権を持てば、教員の身分が私的な妬み、
恨みなどに左右されやすいので、学問を進めるほど、地位が不安定になる。まっ
とうな学問をしないで波風が立たないようにするしか生きる道がなくなる。こ
れでは学問の府の自殺であり、学問の自由の否定となるからである。

 契約自由のアメリカでも、若手はともかく教授には終身の身分保障(いわゆ
るテニュア)を与えるようになったのはこのためである。大学教員任期制法は、
大学教員の流動化のためと称して、教授についても任期制を導入しているが、
任期制で教員を強引に首切って入れ替えることは国際的に異例であるし、これ
らの身分保障の原則、学問の自由の原則に抵触する可能性が大きい。

   3 再任可と流動化型の間は矛盾

 流動化を徹底するなら、再任不可として、どんなに優秀な教員でも、任期ご
とに入れ替えるべきである。しかし、組織の全部で本当にそんなことをしたら、
組織の中核となる人材が残らないから、組織が崩壊する。そこで、再任不可と
するのはごく限られたポストとなろう。多くのポストは任期を付けても、再任
可とするしかない。そうすると、多くの教員は結局は再任されるので、流動化
しない。この法律の目的は達成されず、手間暇がかかるだけとなる。

 4 恣意的な免職制度

 さらに、その場合再任を可とするか不可とするかの基準は何であろうか。流
動化という基準では、優秀でも出てもらうということであるから、残ってもら
う基準は立てようがない。

 そこで、業績を評価することになる。そうすると、これは業績のたりない者
を追い出す手法ということになる。本来身分保障があったはずの教員を、分限
処分を受けるほどではないのにやめさせることができるのである。しかも、任
期切れであるから、救済の方法はつくらないつもりであろう。再任可のもとの
任期制は、結局は、身分保障を潜脱する免職制度に堕す。さらに、業績の評価
方法は全く未完成なので、業績の有無で判断するのは、恣意的になるし、教授
会で無記名投票で決めるのはなおさら恣意的になる。

 要するに、任期制は、多数派に属しない教授をまったく恣意的に追い出すこ
とができる制度になるだけである。

 三  公正な再任審査制度とその司法審査が不可欠

  1 公正な審査制度の必要

 このように、私は任期制法自体がきわめて不合理であり、違憲の疑いが濃い
ものと思うが、少なくとも、任期制法を導入する大学においては、これが恣意
的な免職制度にならないような公正なしくみを構築することが不可欠であると
考える。このことは任期制法では明確には定めていないが、同法の制定時に国
会の附帯決議で要求されていたことでもあり、同法に基づく大学の任期制規則
の中で明確に定めておくべきことである。

  そして、このしくみは、大学内部で定めるので、内規とか申し合わせの形式
によっているところが多いと推察されるが、もともと、「大学の教員等の任期
に関する法律 (平成9年法律第82号)第3条第3項 (同法第6条 におい
て準用する場合を含む。)の規定に基づき、大学の教員等の任期に関する法律
第3条第1項等の規定に基づく任期に関する規則に記載すべき事項及び同規則
の公表の方法に関する省令」第1条は、任期に関する大学の規則には、再任
(任期を定めて任用された教員等が、当該任期が満了する場合において、それ
まで就いていた職に引き続き任用されることをいう。)の可否その他再任に関
する事項を記載するものとするとしている。

  再任に関する事項とは何かは正確には明らかではないが、これまでの研究・
教育・学内業績などの評価基準、再任審査の手続や再任審査における評価基準、
外部評価を行ったときのその評価の取扱いなどを含むものであろう。したがっ
て、これは本来は大学の規則に定めておくべきことである。京都大学ではこれ
を学則には定めていないが、研究所の内規に委任していると理解されるので、
これらに関する内規はここでいう任期に関する大学の規則にあたると理解され
よう。その内規では再任審査は外部評価委員会の評価に「基づく」とされてい
る。そうすると、これは、任期制法に基づく前記文部科学省令1条の委任立法
であると解される。したがって、この内規は単なる内部規範であってはならな
いものであり、これを再生医科学研究所が内規と称していること自体に誤りが
ある。

  したがって、この再任の申請や審査のルールは、京大当局と原告を拘束する
法規範になっている。そうすると、原告はこの法令に基づいて再任の申請をし
たものであるから、これに対する再任拒否の決定は、原告の権利を制限する行
政処分と解される。

 少なくとも、この再任ルールは、研究所と井上教授との約束と評価される
(行政法学では内部規範でも信頼保護の原則、平等原則により外部拘束力があ
ると説明される)ので、そのルール違反は違法である。これに反する京都地裁
の決定(平成15年4月30日)は全く理解できない。

 2 任期への同意はそもそも騙し打ち

  大学審議会答申(乙4号証)47頁では、再任は新規採用と同じとしている
が、同時に、採用時に「この旨本人に明示しておくことが求めれる」としてい
る。しかし、もともと井上教授が任期について同意書を提出したときは、その
ような説明はなく、まじめに勤務し、まともな仕事をすれば再任されるという
趣旨と理解しており、任期が到来したときに行われる再任審査が新規採用と同
じという趣旨とはまったく想定していなかったのである。

 現に、20以上の大学医学部では、教授を含め全教官に任期制が導入され、
多数の教員がこれに同意しているが、同僚の審査がいかに恣意的であれ、任期
満了により失職する重大事態を認識して、同意書を出しているわけではないだ
ろう。

 この段階に及んで、同意書を提出したから、任期で失職しても、違法ではな
いなどという判断がなされるとすれば、井上教授は罠にはめられたとしか言い
ようがなく、これを追認した裁判所は、騙し打ちに加担したことになる。そん
な趣旨であれば、井上教授は同意書を提出していなかったのであって、この同
意書は同教授の真意に反し、無効である。

 また、この任期制が導入されて、井上教授がこれに同意したのは平成10年
4月であったが、公募に応じた平成10年2月には任期制の条件はなく、採用
直前に同意を求められたのであって、これは勤務条件の事後的不利益変更であ
る。しかも、その段階では再任審査のルールはできていなかった。何らのルー
ルなくして、任期制に同意を求めるのであるから、無茶であり、これは最初か
ら無効であったと考える。仮にそうでなくても、井上教授が任期制への同意を
撤回すれば、それに基づく失職扱いはできないことになったはずである。

  3  外部評価に「基づく」との審査基準

 京都大学の右記研究所では、人事の最終権限は協議員会(教授会のようなも
の)にあるが、前記1の趣旨をふまえ、再任拒否の判断をする前に、再生医療
を専門とする井上教授の業績を理解できる専門家からなる外部評価委員会を設
置して、その評価に「基づいて」決めるという内規が制定された。実際、この
専門委員会の構成員7人のうち、臨床医は5人おり、再生医療を専門とする専
門家も5人いる。これはそれなりに公正なしくみである。そして、その外部評
価では、井上教授の「再任を可とすることに全委員が一致して賛成し、今後の
活躍に期待をしめした」。したがって、これを覆すには、外部評価に重大な誤
りがあるか、外部評価とは別の重大な不適格性を指摘する必要がある。

 4 再任拒否の理由

 しかし、研究所の協議員会は、再任を拒否してしまった。その理由は、京大
側から正式には説明されていない。しかも、再生医科学研究所の中辻所長は裁
判で説明すると言いながら、これをしていない。京大当局は、この人事が恣意
的ではないかと批判されているのであるから、学問の府にふさわしく、正面か
ら答えるべきである。

 ただ、研究所長とのやりとりその他から、京都府立医大との合同申請により
行おうとした共同研究に「医の倫理上の問題」があるとされているらしい。と
ころが、この研究は、ガンその他のために切除されて、本来は処分される本人
の膵臓から膵島の細胞を分離して、本人の血管(肝臓の門脈)に注入するもの
である。そうすると、細胞が肝臓に生着し、インシュリンをコントロールする
役割を果たすので、糖尿病患者の治療に大きく貢献する。これは、臓器移植と
混同されている可能性があるが、自家細胞注入治療というべきものである。井
上教授は倫理委員会で承認されればこの分離の過程を担当する予定であった。
それも最終的には承認されなかったので、この研究をしなかった。これに、倫
理上何らかの問題があるはずもない

 かりに協調性がたりないなどというのが理由なら、再任拒否の憂き目に遭わ
ない教授で、有能な人は希有であろう。 

 5 不公正な再任審査のしくみと運用

 この京大のしくみでは、任期制の適用を受ける協議員は、井上教授だけで、
他の教授は安全地帯にいて、同僚の身分を左右する。これはきわめて恣意的な
運用を可能にする。任期制を導入するなら、みんな同じリスクを犯すべきであ
るし、多くの構成員の勤務を適切に評価して、評価の低い人についてだけ再任
を拒否するというシステムでなければ、組織が崩壊する。それとも、人材の流
動化と称してどんどん入れ替えるのが目的なら、そもそもあらかじめ再任なし
とすべきである。

 また、この協議員は、同僚の身分の生殺与奪の権限を有するのに、井上教授
の専門である再生医療の臨床からはほど遠い人が多い。20人の協議員のうち
臨床医が3人で、しかも井上教授と専門を同じくする専門家がほとんどいない。
それで、外部評価委員という専門家の判断をなぜ覆すことができるのか。外部
評価委員会は無視されたに等しい。

 井上教授としては、何の問題もないことを同僚に説明したかったが、そのよ
うな機会は与えられず、所長から一方的に辞職を迫られた。

 協議員会は無記名投票で決め、しかも白票は反対票と数えるという制度となっ
ていたので、きわめて無責任な決め方であった。これは単なる新規採用人事と
同じつもりであろうが、外部評価に「基づく」となっている以上は、それと異
なる結論を出す場合には、外部評価に従えない理由を示すべきである。協議員
会では単に再任の賛否を問うのではなく、再任に賛成の案と反対の案を理由つ
きで提出して論争すべきであった。この運用は、外部評価に「基づく」とは言
えないから、違法である。

  6 所長の越権行為

 それどころか、この研究所長が、外部評価委員会に働きかけて、一部は原告
に不利に修正させ、他方、再任に全委員賛成という文章を、特にそれを不可と
する意見はなくという消極的な文章に書き換えさせようとしたとか、「国際的
に平均」という評価から「国際的」を落とそうとして失敗した事実、井上教授
に辞職するように説得を依頼して失敗した事実も、外部評価委員(出月東大名
誉教授)から明らかにされている。これは単なる裁量濫用などという生やさし
いものではなく、研究所長の権限濫用である。

  なお、判例によれば、公務員は被害者に対して、個人としては賠償責任を負
わないのが原則であるが、特別に保護されている裁判官でさえ、「違法不当な
目的をもって裁判をしたなど、裁判官がその附与された権限の趣旨に明らかに
背いてこれを行使したものと認めうるような特別の事情」があれば国家賠償責
任が成り立つ(最判昭和57=1982・3・12民集36巻3号329頁)。
研究所長は個人としても責任を負わなければならないのではないか。さらに、
刑法の職権乱用罪の可能性はないのか?吟味を要することである。

 7 司法審査の必要

  こんな無茶苦茶な再任拒否も、任期切れだから救済の方法はないというのが
京大当局の見解である。しかし、それは、前記のような公正な審査の要請に反
するし、なによりも、この研究所が自ら打ち立てた外部評価に「基づく」とい
う基準に反する。こうした再審査のルールは、文部科学省令に基づく法的なも
のであるから、本件の再任拒否は、任期切れによる失職ではなく、免職処分と
理解するか、少なくとも、再任に関して公正かつ合理的な判断を求める再任申
請権を侵害するものとして、行政処分であり、司法審査が及ぶ(さらに仮の救
済が不可欠である)と考えるべきである。なお、国会でも、文部省は流動化型
の任期制は限定的であり、司法審査があることを認めている。これに反する主
張は許されないはずである。

  また、任期による失職は、任期が適法につけられたことを前提とするが、本
件の任期への同意は、いわば騙し打ちであるから、それに基づいては失職しな
いと解すべきである。そして、この点では、法律問題だけではなく事実審理が
必要であるから、裁判所は証人尋問をしないで結審することは許されない。

  井上教授の研究は一刻も猶予が許されないので、本来は、任期切れの4月末
までには司法の仮救済が必要であった。その執行停止の申請が京都地裁を説得
できなかったので、科学研究費も打ちきられた。誠に遺憾である。

  四 京大は大学の自治の火を自ら消すな

 こんな恣意的な人事がまかり通れば、今後こうしたポストは危険極まりない
ので、一流の研究者は応募しないし、その職に就いた者は、研究の最先端で活
躍するよりも同僚の評判ばかりが気になって、まともな学問はできないであろ
う。これは研究の活性化をはかろうとする任期制法の趣旨に正面から反する。
京大の教授が辞職を覚悟で学問の自由を守ろうとした1933年の滝川事件の
伝統を京大当局、京大学長はなぜ自ら消そうとするのであろうか。こんな大学
に自治を認めるのが間違いだなどということになりかねない。



  なお、京大学長長尾真は、これは再生医科学研究所が決めたもので自分は関
係ないという態度をとっているが、学部・研究所の教授会自治に囚われて、大
学の自治の内部からの崩壊を拱手傍観するようでは、学長の器にふさわしくな
い。研究所長の職権濫用に加担したと言えないか。本来なら、こうした不祥事
を防止するように、せめて指摘されたら、是正するように動くべきである。

  ちなみに裁判官は10年の任期制である。たしかに再任拒否の理由は示され
ないが、再任拒否は滅多にないので、普通には安心して自己の信念で裁判に専
念できる。また、再任されなくても、同じ法曹であり、独立事業者である弁護
士として活躍できる。法曹一元の理念による。これに対して、研究者は、専門
的であるだけにつぶしがきかず、しかも就職できなければ研究を継続できない
ので、事情はまったく異なるのである。しかし、それでも、裁判官の再任拒否
が本件のようなやりかたでなされるならば、裁判官は安心できず、貝のように
口を閉じて、一切物言わないようになるだろう。これでは裁判も死に至る。

  なお、裁判官の任期制は憲法で定められ、本人の同意も必要がない点で、大
学教員の任期とは全く法的性格を異にする。

 学問の府であることを自負しているはずの京大当局は、本件の再任拒否を至
急取り消して、井上教授を再任するとともに、他大学の模範となる公明正大な
再任手続のルールを作り直すべきである。

 また、裁判所は、こうした学問を死に至らしめる事態にかんがみ、井上教授
の遡及的復職へと緊急に審理を進めていただきたい。