要望書

文部科学大臣は学問の自由を破壊しようとする石原東京都知事の都立大学再編計画に対し て直ちに適切な指導を行われたい

文部科学大臣 河村建夫殿

本要望書に連署した我々大学において高等教育と学術研究に携わる者は、2003年8月以来石原東京都知事によって進められている都立4大学再編計画が、我が国の学術研究と高等教育のシステムを根本から揺るがし、その水準の大幅な低下を招きかねないものであると憂慮し、現行法規下でこのシステムの維持と発展に最終的な責任を負う社会的機関の長である文部科学大臣が速やかに適切な処置を講じ、そうした損害を日本社会が故なく蒙ることを未然に防ぐよう努力されることを要望するものである。

<学問の自由と日本社会>

我々日本国民は虚偽ではなく真理を尊ぶ。いかなる事柄に関するいかなる機会に際しても、能うかぎりにおいて当の事柄に関する真実を知り、その知識に基づき行動することを欲する。こうした真実は、他者からの二次的な情報に従うのでなく、事物そのものを自らの手で吟味し、何が真実かを自らの判断を通じ見出し得る能力と資源を有するものとしての自立した学術研究者の存在無しには得ることができない。それ故日本社会は学術研究者の育成と彼らによる専門的で職業的な学術研究の発展を長期的に支援することに強くコミットしているのである。このように日本社会は学術振興への持続的な意志を表明している。こうした活動としての学術研究の根幹は、各研究者の自発性に基づいた研究計画とその遂行が保証され、各研究者の見識と良心にのみ基づいた判断がなされ,かつ公開されることが保証されることである。これを我々は学問の自由と呼ぶ。学問の自由の保障を謳う憲法23条は真理と学術振興への日本国民の持続的意志を最も包括的に示す条文である。

<大学とその設置者の使命>

真理と学術振興への国民の持続的意志を具体的に実現する社会的機関が大学である。すなわち学校教育法第52条が「学術の中心」と呼ぶように、高等教育を通じ国民に高度な知識と幅広い見識を身につけさせるということに加えて、学術研究者を養成し、自らも学術研究に携わり発展させ、広い分野において能う限り真理に近づくことが社会から大学に課せられた根本的な任務である。加えて都立大のように大学院博士課程を擁する大学は、博士号という研究者のライセンスというべきものの発行権を社会から委託されているのであり、その社会的責任は更に重大である。学術研究者の育成と新たな真理の自立した探究としての学術研究、これらはいずれも長い年月を要するものであるから、大学を設置するものは高等教育と学術振興に対する長期で持続的な責務を社会に対して負い、その義務の遂行は常に学問の自由を尊重して行わなければならない。これが大学の公共性であり、その設置者の使命である。

<石原都知事の都立大再編計画は、大学設置者としての社会への背信である>

以上の大学とその設置者の社会的使命に照らして都立大再編計画を検討するなら、その責任者である石原都知事は都立大設置者としての自らの責任に対して余りにも無知であるか、それとも悪意によって日本社会における学術振興を妨害していると判断せざるを得ない。

1. 東京都に現行都立大学を重大な理由なく廃止する権限はない

この計画において都大学管理本部は、設置者である知事は現行都立四大学を廃止する権限を有するが故に、それを行使するといっている。しかしながら上述のように大学の設置者は、日本の学術研究システムの維持発展に対する長期的で持続的な責任を名誉あることとして自らの意志によって負っているのであり、設置者の財政破綻等、設置者がその意志にかかわらず大学の運営が困難になるといった重大な理由無しには大学の廃止は許されることではない。銀行がその設立者の私的所有物でないように、大学は国公私立の別を問わず公的な存在であり、設置者が意のままにできるものではないのである。石原都知事の言動と再編計画は、大学設置者は大学を通常の商業施設のように短期的な需要の変動に応じて開設・閉鎖できる、という大学と学術に関する根本的な誤解をあらわにしている。

2.学術研究と学問の自由に対する石原都知事の無理解は更に深刻なものである

これに加えて都大学管理本部は再編後の新学部の理念設計をすでに予備校に委託しており、しかも石原都知事はことあるごとに学術研究者一般に対する敵意ある発言を繰り返している。更に都は新生都立大の理念を「大都市における人間社会の理想像を追及することを使命とする」と定め、研究領域ばかりでなく、研究課題と期待される結論に関して研究者に間接的に干渉しようとしている。我々は決して大学の学術研究者が社会の批判から免除されると考えるわけではない。社会から委託された教育と研究という任務を遂行せず、社会から特権的に与えられた資源をいたずらに浪費することが万が一にもあるなら、学術研究者は厳しく批判されるべきである。このように本来の任務をいかに良心的に遂行しているかに関して学術研究者は常に社会の批判的な目にさらされるべきである。しかしながら学術研究の対象と結果については、研究者はみずからの学問的関心と良心にのみ基づいて判断するべきであり、外的な要求に屈したり,媚びたりすることにより自らの判断を左右すべきではない。なによりそれが耳を傾けるべきは、同様の能力と義務を負う専門家からなる学問共同体の批判である。「社会の要求」、「時代の要求」等いかなる名目によってであれ研究の対象と結論が非専門家の判断、意向、要求に服するなら、そもそも真実を知るために社会が学術の振興を図ろうとした本来の目的が損なわれるのみである。東京都の再編計画は、都大学管理本部と石原知事が学術研究と大学の独特のあり方に関してあまりにも無知であり、学問の自由を保障するという自らの根本的な責務に余りも無自覚であることを示している。

<東京都による大学再編計画が見過ごされるなら、日本の学術研究は大きな損害を蒙 る>

東京都によるこうした再編計画がこのまま見過ごされ、万が一にも実現するようなことがあれば、それは単に都立大学に対してのみならず、日本の学術研究全体に対して計り知れない損害をもたらすことが予想される。学術研究とは未知の真理を見出す活動であり、その発見的性格のために定まったアルゴリズムの存在し得ない活動である。従って学術研究者の育成は、教本に沿った短期的な集中的訓練によってはなされ得ず、既成の研究者と共に活動し、その研究活動を見本としながら習得されるものであり、なによりも十分な時間を必要とする。同様に学術研究そのものも、それが真の意味で探究的であり、国際的に認知される水準のものであろうとすれば、その萌芽から完成までは長い期間を要するものである。短期的な社会的な需要に大学と研究者を従属させようという石原都知事の基本構想は、研究者養成プロセスの質の低下と研究そのものの模倣化、無意味化を必然的にもたらす。同時に、現行都立大がその博士課程と共に設置者の恣意によって廃止されるなら、それは極めてリスクの大きい職業的選択である博士課程への進学を志す者への大きな抑止要因とならざるをえない。石原都知事の再編計画により都立大の学術研究と研究者養成は、質の低下と人的資源の枯渇という大きな損害を蒙るのは明らかである。しかし我々が危惧するのはこればかりではない。国立大学の法人化を目前に控え、日本の大学全体が組織的な改変をしようというこの重大な時期に、もしこの有害な都立大再編計画が見過ごされるならば、石原都知事と同様の学術への無理解により、大学改革の名の下に大学と学術の破壊がいくつもの個所で引き起こされる可能性がある。そのとき日本の学術研究はまさに甚大な損害を蒙ることになるといわねばならない。

<文部科学省は石原都知事に適切な指導をし、日本の学術研究を守るべきである>

本来大学改革は大学とその設置者の協議を通じてなされるべきであり、外部の者がみだりに介入すべきものではない。しかしそれは大学本来の機能を実現する複数の可能性からの選択として改革が営まれる場合のことである。現在の都立大の様に改革の名の下に大学と学術の理念に真っ向から反するようなことが行われる場合、日本の学術に最終的な責任を持つ機関が適切な行為を通じてそうした暴挙を規制し、故なき損害を未然に防がねばならない。我々は文部科学省がそうした任に当たるのは必ずしも最適な制度だとは考えていない。しかし現行の法体系下で文部科学省は事実上銀行に対する金融庁に比すべき立場にあり、万が一大学の設置者が学問の自由を侵害し、学術研究の本来の目的に反するような振る舞いをする場合には、それを適切に指導し是正させる責任を負っている。それゆえ我々は文部科学省が速やかに行動し、日本の学術研究を守るための適切な措置を講じられることを要望するものである。もし文部科学省がそうした義務を怠るならば、日本の大学全体に対して誤ったメッセージを送ることになるだろう。同時にそれは文部科学省、とりわけ高等教育局の存在意義そのものが問われる事態へと発展せざるを得ないと我々は確信している。

以上、我々は要望する

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